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2024.06.16

深山が日本文化人類学会第58回研究大会にて発表

6月16日に、日本語にて「環礁社会の「拡張」に関する予備的検討:クック諸島・プカプカ環礁の災害復興にみる移民コミュニティの機能」という題名のもと、口頭発表を行いました。

予稿は、次の通りです。


キーワード:環礁社会、移民、自然災害

 人新世をめぐる議論が各所で交わされている。20世紀半ばに人間活動は地球の環境破壊を加速化させ、「それまで安定していた」人間の生活が崩壊する危機が目前に迫るなか、このような状況をどう改善し、どう乗り越えられるのか、という論調が核を占めている。この環境危機の「最前線」あるいは最大の「犠牲者」として表象されてきたのが、脆弱性(fragility)・被傷性(vulnerability)に特徴付けられた環礁社会であった。ところが実際には、太平洋の多くの環礁では、住民が人新世のはるか前から「不安定な」生存環境の中で生活を維持してきている。ならば、歴史と現代双方に着目したうえで、環礁社会がいかに脆弱な世界を生き延びてきているのかを、問う必要がある。

 このような問題意識のうえで、本発表では現地調査に基づき、クック諸島北部離島のプカプカ環礁社会に焦点を当てる。プカプカ環礁は、極リモート環礁(far-remote atoll)と呼ぶに相応しい極端な狭小性・遠隔性、過去数千年間にわたり数年間隔で発生しているエルニーニョ現象という気候・気象変動リスク、人新世におけるそのリスク増大、に特徴付けられる。住民はそのような重層する脆弱性のなかで、数百年にわたり生活を営んできた。

プカプカ環礁は3州島から成り、北の州島ワレを主島とし、南東に州島モトゥ・コー、南西に州島モトゥ・コタワを擁している。人口は約450人(2019年時点)で、主島ワレには3村の居住域が所在しており、各村はワレの北部地域モトゥ・ウタ、州島モトゥ・コー、州島モトゥ・コタワをそれぞれ資源保護区(motu)としている。資源保護区に関しては毎年、各村から選出される島評議会のメンバーと、伝統的権威者会議が協議の上、解禁・閉鎖期間や、資源利活用・管理の方法を定めており、いずれの期間かによって各州島の滞在人口も大幅に変動する。この資源保護区の実践に端的な例をみるように、そもそも人間居住には過酷な極リモート環礁で、住民は慎重かつ緻密に生存環境を確保してきた。より具体的には、住民は個々の州島を、立地と特性を見極めて特定の生活資源の獲得の場として涵養したうえで利用・管理しており、その結果州島それぞれは個別の機能を分け持つに至っている。ここには、環境機能分化ともいうべき戦略が看取できる。

 20世紀初頭のニュージーランドによる植民地期以降には、環礁外への還流的人口移動(circulation)が加速的に恒常化した。現在では、クック諸島ラロトンガ島、そしてニュージーランドおよびオーストラリアの複数の都市に、プカプカ系移民コミュニティがあるとされており、特にラロトンガおよびニュージーランドのオークランドのコミュニティでは、組織化と物理的拠点の確保が確認できている。これらのコミュニティでは、エスニックな他者と隣接するなかでプカプカ人というアイデンティティが強く醸成されており、プカプカ環礁における村を模した下位集団の分化がみられる。基本的には移民間の互助・親睦組織として機能し、環礁からの新たな移民の受け入れや、環礁へ金・物資の送り出しなども行う。

 一方で、2005年に巨大サイクロンがプカプカ環礁に襲来し壊滅的な被害を及ぼした出来事に着目すると、災害管理サイクルでいうところの「災害応急対応」から「復旧・復興」まで、長期にわたり移民コミュニティが果たした役割は大きかったと評価できる。例えばラロトンガ島の移民コミュニティは、クック諸島政府への緊急支援要請、援助金・物資の収集・発送、避難者の受け入れなどの活動を行い、確かに生存環境としての環礁の復興を支え、同時にその再編を促したことがわかっている。換言すれば、移民コミュニティは、自然災害という環礁の非常時において、特定の機能を持つ場であることが明らかになったのである。

 すなわち、プカプカ環礁社会は、環礁での長きにわたる「不安定な」生活のなかで培った戦略を土台として、気候・気象変動リスクが増大する現在、その生活世界を環礁外のマルチ・サイトへと「拡張」することによって、生存の確率を高めていると捉えられるのではないだろうか。この意味で、人新世を生きる環礁社会の住民は、受身的な「犠牲者」ではなく、能動的な「生活者」と位置付け直されるべきなのである。

この記事を書いた人
深山 直子 (研究代表者)
Naoko Fukayama

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